初めて知っちゃった

2021年3月31日水曜日

寝れないときによむ小説

腕を思いきり突き出す、腕を思い切り突き出す…。


そう何度も声にならない声でつぶやく。体が震える。何をどうしたってこの震えは止まらない。足も手も、それらが自分の所有物だという感覚すらなくなっていく。


腕を思いきり突き出す、腕を思いきり突き出す…。


だめだ。それだけに意識を集中させていても、もうこの恐怖に耐えられそうにない。いっそ死んだ方がいい、もうムリだ。自分には。ごめん、父さん、母さん…。


アタシの震える背中に、ふっと何かが触れる。いまにも落ちそうな花びらをふわり支えているような、やわらかな触感。


それはアタシに大丈夫、大丈夫、といってくれている。


震えは止まらない。しかしその支えがあるだけでどうにか自分を保てる。彼は先ほどから何度も、こうして今にも消え入りそうなアタシを励ましてくれていた。


彼がいなければアタシは。彼の手がなければアタシは。


その手はアタシの背中にぬくもりをくれる。少しずつ、少しずつ。そのぬくもりに集中することで自らの体の自ららしさをわずかながら取り戻せる。


「き、きたぞっ!」


前の方で声が響く。


ついに来たのだ。この時が。ああ、来てしまった。


走り出す。一目散に。震えていたはずの足は意外なほど規則正しく地面を蹴ることができる。


走る。ただ走る。何かにつまづく。震えのせいかと思うもそれは違った。先行していた同胞たちが地面に転がっている。もはや震えることもできなくなった同胞たち。


走る。もう体の震えはない。最前線が見えてくる。巨大なものの影がアタシの行く手に確かに存在している。ああ…。


彼の姿が視界に入る。危ない…っ!アタシは声にならない声で叫ぶ。同時に彼の華奢な体が巨大なものの乱雑な一振りで一瞬にして吹き飛ぶ。


彼の胴体から下、そして肩から先が四方に、散り散りに飛んでいく。瞬間。まるで世界が停止したような静止画の中、アタシは手を探す。あのあたたかかった彼の手を。しかしそれは粉々になってしまったのかどこにも見当たらない。


アタシの脳が作った静止画。一瞬の出来事。


アタシは駆ける足を止めない。


腕を思いきり突き出す。手にもったこの槍を。


…………


……



光速に近い速度で走行する宇宙船。その宇宙船が1年後に地球に戻ると地球では何十年も時間が経過している。アインシュタインの唱えた、相対性理論。

今富裕層の間ではこれを利用した人生追体験サービスが流行している。

自らのクローンを適当な惑星で数十年生活させ、自らは光速走行する宇宙船内で仕事をしたり遊びに興じたり1年を悠々自適に過ごす。その後再び惑星に戻りそのクローン体を回収。それのもつ記憶だけを脳に読み込み追体験するのだ。数十年ぶんの芳醇な記憶が脳にどっとあふれる。


自らのクローンが感じた、自ららしい触感、思考、そして感情。


「うふ、恐怖の中で感じる手ってこんな感じなのねっ。アタシ初めて知っちゃったっ」

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