パーカーについての考察

2021年3月20日土曜日

寝れないときによむ小説

パーカー。


そう、パーカー。

ぼくの中でパーカーというのはこれまでずっと、お腹の出始めたおじさんが部屋着として着つつ、そのままコンビニや競馬場くらいまでは平気で足を伸ばせてしまうような、そういうカッコいいとは無縁の、とにかく着回しのきく服だった。

メガネがインテリの抽象的表現であるように、パーカーはビール腹おじさんのそれなのだ。


とうぜんビール缶との親和性も高くなる。

ビール瓶とは違う、あくまでビール缶なのだ。プルを開け、缶のままノドを鳴らして飲んで、服にちょっとビールがこぼれるような。

ビールがこぼれてそうな服、というランキングを大々的に取ったらジーパンに僅差でパーカーが1位になるはずだ。


なにが言いたいかというとパーカーに清潔感を見いだせない。おじさんが部屋着として着ていて、ビールがこぼれているイメージ1位の服に清潔感を求める方が酷というものだろう。

女の子になりたい男の子、くらいないものねだりをしている。


…と思っていた。今日まで。

しかし今日完全にぼくの中のパーカー観が崩れた。


最近のパーカーはなんかカッコいい。なんかカッコいい、という抽象的過ぎる表現で、人にものを伝える努力を放棄している気もするけれど、なんかカッコいいのである。


服に疎いんでパーカーの何がどう変わって、なんかカッコ良くなったのか、と聞かれると非常に悩ましい。


それこそぼく自身がおじさんになりつつあって、自分側からまるで磁石のようにパーカーになじんでいってる可能性すらある。だからパーカーに対する意見が好意的になった、と。


ただ、たぶんこれだなと思うのが、パーカーのフードがカッコいい。なんかカッコいい。


なんかカッコいいパーカー、をここで新パーカーとし、いわばこれまで書いてきたパーカーを旧パーカーとすると、旧パーカーはフードがぺしゃっていた。何の自立性もなくただだらしなくぺしゃっていた。

それに対して新パーカーはフードが立体的なのだ。チワワくらいなら入れられそうな自立感。少なくともペットボトルを投げて入れることはできる自立感。


そうか。

パーカーに清潔感がなかったのは中年おじさんが着てるからでもなく、ビールがかかってるからでもなく、フードがだらしないがための清潔感の欠如だったのか。

フードさえしゃんと立っていたら、なんかカッコいい、になるのか。


「フードがよく立つパーカー」というパーカーを無印良品が販売するのも時間の問題なのかもしれない。

QooQ