何か違う。
なんだろう。
なんかもっと、こう、例えるならそう、かまぼこみたいな感じ。
かまぼこ感が今の文章にはない。どうして僕の文章から急にかまぼこ感が失われてしまったんだろう。
老化だろうか。
とふっとその現実が頭をよぎる。だから人は年を取るとかまぼことか練り物を経口摂取して自身のかまぼこ感を必死に繋ぎ止めようとするのではないだろうか。
吸血鬼が若さを保つために美女の血を吸うように。
それともコロナ禍で人と話す機会がたぶん当社比30%くらい減っていることが原因で、なんかそういう、とっさの時の切り返しとかの反応速度が鈍っているのかもしれない。
実際マスクしてるとなんかあんまり口動かしたくなくって、なんか言われても「うん?」とかそういうRPGの主人公かというくらいの短文で返すことが多くなってる気がする。昔のようにウィットに富んだキレのある切り替えしをしなくなったように思う。
しかし理由がどちらにしても、やきもきする。
以前にはなかった。文章を書き終わって、ううううぅ…、みたいなちっちゃい「ぅ」が入ってくるようなそんなあとくされの悪い感情は。
前はもう、農作業がごとく、ふぅー書いた書いた!よし今日の仕事終わり!みたいな清々しい、読後感ならぬ書後感だった。
そしてめざとい読者ならお気づきだろうと思うが、その農作業がごとくの時の感想にも小さい「ぅ」がひっそりと入っているが、そんなことは今どうでもいい。
そう僕にとっては文章を書く事、それは農作業だったのかもしれない。パソコン的農作業、頭脳的農作業といってもいい。
そういうなにか、終わってみれば気持ちいのいい、行いだった。
でも今の僕はどうだ。
そんな、汗を流し、背一杯頑張った仕事、その終わりに風呂にどっぷりつかり、笑顔を浮かべるような気持ちよさを少しでも感じられているだろうか。否、感じられていない。これぽっちも感じられていない。
情けない。
よもや頭脳的農作業ができなくなっているなんて。なんだろう、何かモヤがかかったようなそんな認識なのである。脳の中に薄い鉛色のモヤがかかっているような。そんな感覚。
そもそも冒頭のかまぼこについてもイマイチしっくりきていない。そこでも感じるモヤ。
なんなんだ、かまぼこって。読んでる人もさぞモヤっとしただろう。
いや、一応かまぼこって書いたときには意味はちゃんと考えてあった。
ただそれを説明してもやはり僕にもきみにもモヤが残ると思うし、ならもう説明しない方がいい気もしてくる。かまぼこをそっとしておいてやりたい。
そもそもそんな風に意味を考えて文章を書くなんてことを昔はしてなかった。かまぼこって書いたらかまぼこのまま、その勢いのままかまぼこを突き通していた。
今はどうだ。
たった4文字、かまぼこ、の使用に関して、まるで無能な日本政府かというくらい無駄に時間をかけて考えに考えあぐねている。
かまぼこと言ったらかまぼこ!とその勢いを自分の文章で正当化することすらできていない。
「か、かまぼこなんですぅ~…」と頼りなさげに、上目遣いで、誰かのご機嫌でも取るかのようにそしてまた小さい「ぅ」を含めながら言うことしかできていない。
ああ、だめだ、もっと大根100本抜ききった後みたいな、そんな文章を書きたい。
にしても、小さい「ぅ」の汎用性すごい。
ああそうそう。Twitterも始めたんでよろしく。フォロワー(戦闘力)の少なさはピカイチだろうと思う。クリボーよりクリボーらしい、スライムよりスライム。逆に誇らしい…くねーか。
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