恐ろしいほどの万能感

2023年2月20日月曜日

寝れないときによむ小説

拝啓、お父様。お元気ですか。


今、わたくしは何だってできる気がします。否、できる。

あの不可能任務と言われた、逆立ちして空き地3周すらもこなせてしまうくらいの万能感。あの邪道の中の邪道と言われたお好み焼きでごはんを食べることすら可能だろう。いいや、そればかりかうどんでご飯を食べることすらできる、今想像してみたら、できる。


ああ…!、どうしよう、この万能感。


もはや我とは万能感、万能感とは我。辞書に載っている「万能感」の二つ目の意味として固有名詞としてわたくしの名前が載っていてもいい。

それくらいの、万能感 is me.


万能感の英語は知らない。すでにそこで万能ではないではないか、というささいな矛盾ははらみながら、しかしそれを気にしない万能感。


ん?この万能感の正体?だって?なぜそんなにも万能感で満ち満ちているのかだって?


そうだろうそうだろう、人はだれしも万能感を欲するものだ。よだれが出るほどに万能感を欲する。それが人間。

極暖インナーくらいの欲しさで欲しいものそれが、万能感、そうであろう。


普通なら人にこの万能感を手に入れる方法を教えはしない。なぜなら情報とはそういうものだからだ。金持ちになる方法が情報として世に出ないのと同じ。万能感を得る方法が世に出ないのもまた、自然の理なのだ。


しかぁーし!

なんか体育教師みたいなちいちゃい「ぁ」の使い方したけど、しかぁーし!今我は万能感の真っただ中にいる。そうであるならば、人に教える事、これも万能のあるべき姿なのだ。


だから我はここにこれほどまでに黄金色を放つといってもいい、もはや言ってもいい、万能感を獲得する、方法をここに記そうと思う。


……



今、我が家に大根が2本ある。


その事実が我を、わたくしを万能感へと押し上げているのだ。


…ん?


なんだって?


大根2本ごとき?へ?期待して損した?やーいお前のカーちゃんでべそ?


解っていないな、少年少女よ。ふふふ、なぁーんにもわかっちゃいない。


にしても今日はこのちいちゃい「ぁ」が頻出するな。万能感とはちいちゃい「ぁ」なのかもしれない。宇宙と超ひも理論が関わっているように、大いなる万能感とちいちゃい「ぁ」は関わっているのかもしれない。


話を戻そう。

大根2本だぞ。


何ができる。何でもできる。


大根2本だぞ。

足にはいてスキー板の代わりにもなるし、二つを片一方の手で持てば箸にもなる。なんなら寝るときの毛布代わりにもなる。水筒の代わりにもなりえるだろう。

ならないものがない。


大根2本だぞ。

食べきれるか?お前に、大根2本が。


……



…絶対腐る。さっきから無駄に大根2本を片手に1本ずつ持って二刀流ごっこしてる。


だから君も大根2本買え。そして食いきれない諦めと共に、なぜだかやってくる、「ああ、もうどうにでもなぁれ!」というまたしてもちいちゃい「ぁ」の出てくる文章を脳内で、もしくは実際に口で言いながら、変な万能感を感じろ。

そして一緒に大根で二刀流ごっこしよ。

ああそうそう。Twitterも始めたんでよろしく。フォロワー(戦闘力)の少なさはピカイチだろうと思う。クリボーよりクリボーらしい、スライムよりスライム。逆に誇らしい…くねーか。

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