最後の一滴

2021年5月24日月曜日

寝れないときによむ小説

「まじかよ、たったこんだけなのかよ」

「ああ、たった一本。これしかない。これが現実だ」

顔を見合わせる。お互い目が落ちくぼみ憔悴しきっている。

「こんなんで、こんなんでどうやってあと10日生き抜くってんだ、おい、誰か教えてくれよ」

「…まず、無理だろうな。たった一本で3人。一人ならともかく」

「俺は…嫌だ、誰かを、その、見殺しにして生きるなんて」

「俺だってもちろん嫌だ。想像したくもない。しかし…現実的に3人生き残る方法は…」

「あ、あの…」

「たくっ、なんでなんだよっ!なんで…っ、なんでこんなことに」

「おい、冷静になれ。気持ちはわかるが、体力を消耗するだけだ」

「あ、あの…」

「くそっ、マジで最悪だ。こんなことなら出発前にもっと貯蓄を確認しとくんだったぜ。くそっ、くそ…」

そういって彼は”コーラ”と書かれた缶タンクの上にドシッと腰かけ頭を抱える。”たぷんっ”というなみなみ入った水分をたたえる音が、たぶんコーラに満たされた容器が奏でる麗しい音が響き渡る。

「目下の問題はこの一本の水をどうやって分配するか、だ」

「ああ…そうだな」


しかしそれから1時間。議論は進まなかった。

「…こんなこと言うタイミングじゃないかもしれないけどよ、いったん飯にしね?もう限界だ」

「ああ、同感だ。煮詰まってしまっては出る答えも出ない」

こうして私たち3人は敷地内にあった保存肉、コーン、それからスープを3人に分かれ手際よく仕上げご飯にした。

「おい、ちょっとそこのお茶取ってくんね?」

「あ、はい」

「さんきゅー」

ゴクゴク、と彼は実に子気味いい音を鳴らして麦茶を飲む。

「…でもこのままだとマジでいつが最後の晩餐かわかんねーんだよな…。美味いはずなのに、美味いはずなのに味がしねーよ」

彼は口から少し垂れた麦茶を無造作にぬぐいながら話す。

「ああ、まったくもってその通りだな。しかし味なんかよりもとにかく今は腹を満たしておけ。」

そう言いながら彼も食が進まないのか皿の上のコーンをフォークでいじるばかりだ。

「ちょっとオレシャワー浴びてくる」

「ああ、上がったら言ってくれ、次はオレが入りたい。頭を冷やしたいんだ」


時計の音が聞こえる。トク、トク、トク、トク。

無言の空間が3人に重くのしかかる。あれから肝心の議論が進まぬまま2日が経過していた。

「あ、あの…」

彼がこの世の物とは思えない血走った目でキッと私を睨む。

「なんもわかってねーやつがなんかいってんじゃねーよ!」

そういって彼は手近にあったいくつかのビンのうち1本を無造作に持ち上げ床にたたきつける。橙色の水しぶきがきれいにほとばしる。キラキラキラキラ。

きっとオレンジジュースが入っていたのだろう。非常にキラキラ。私の意識は一瞬弾ける夏に持ってかれる。

「くそっ、この水は俺のもんだ!オレは生きたい!あいつとの結婚だって控えてるんだっ!」

「やめろっ!お前だけが、お前だけが生きたいわけじゃない。俺だって!俺だってお袋をあのままにして死ぬわけにはいかない」

テーブルの上に置かれた瓶を必死に奪い合う2人。

「あ、あの…」

「うるせぇ…!だまってろ、オレは生きたい。この中で一番生きたいのは俺だ!ほかの誰でもない、俺なんだっ!あいつのお腹の中には子供だって…っ!今おれが死んじまったらっ!あいつは、あいつらは…っ!」

「お前が生きたいのと同じように俺にだって死ねない理由がある!譲れない、譲れないんだ!お袋の2回目の手術、金が…金が要るんだ、俺が死んでしまったら誰が、誰がお袋を救えるっていうんだっ!」

そういって彼ら二人はテーブルの上のビンを奪い合う。激しく熱烈に。

そこには渇きがあった。

どうしようもないほどの渇き。魂からの渇き。

一人が瓶を奪う、すぐさまもう一人が”炭酸水”と書かれた瓶を思い切り投げつける。それは顔面に命中し、さっぱりとした清涼感を空間に演出する。

「オレが死んだら会社のマリちゃんに借りたままのDVDはどうなんだよ。誰が返すってんだよ…っ!」

「俺だって近所のミィちゃんが、ミィちゃんが、その、あれなんだ!ちくわとかあげたりしなきゃなんだよっ!」

ビンを奪い返した一人に、またしてももう一人が”ワイン”と書かれた樽を思い切り転がす。それは今まさにビンを開けようとしていた一人の膝を直撃し、はじけ飛び、芳醇で熟成されたワインの香りを残しつつ、ぶどう本来のフレッシュな香りが辺りを充満する。紫色の洪水。…ああ、なんて美味しいのだろう。

ソーダの煌めき、ワインの芳醇、コーラのハジけた刺激、水しぶき、したたり。妖しく照り返す水面。ありとあらゆる液体が飛散する。

パシャパシャ、ザブザブ歩くたびに、動くたびに贅沢なほどの水の存在を表すオノマトペが鳴る。足首がひんやり気持ちいい。


ああ、ぶしつけに、今私、バタフライしたい。

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