出来ないことの告白

2021年11月10日水曜日

寝れないときによむ小説

今回は割とまじめな記事と相成る。とくにブログ運営している人にとって。

そう、ふだんアホみたいな記事ばっかり書いてるのにな。急にまじめになられても読んでる側がびっくりして心臓まひになっても困るからさ。予め断っておかないと。


いやアホみたいな記事での部分でいったん否定してもらいたいね。ん?だって正真正銘アホみたいだって?…まー、うーん、そうか。しょうがないか。


ネットの記事は○○のやり方、○○達成!みたいなできるようになる事、すでに達成した事の記事が多い。たぶん諸君らもそう感じている事だろう。

急に諸君らとか使っちゃった。なんだろうナウシカの女将軍かな。


まーネット、というかグーグルは解決型記事を検索上位に持ってくるからそれは当然。「○○を解決するためには」の記事を書くには○○をあらかじめ解決してる人でないと書けないのだから。


……



でもね、本当に読みたいのはそうじゃないんだよな。

○○を解決するためにどんな紆余曲折をその人が歩んだのか、それとも結局、努力の末○○を解決できずにあまたの海に沈んでいったのか。それが読みたいんだよな。


問題解決型の記事なんて誰が書いても同じでくそしょうもない。ただ情報が読みたいからググって一番上の記事を読んでるに過ぎない。それで問題解決できなかったら次の記事、そして次の記事…。有象無象の記事である。そこにオリジナリティはない。ただ情報がまとまっているかどうかだけの差異。

記事を書いてる方も読んでる方もそれって味気なくないか。世界にはもっと無駄が必要だと大いに思う。無駄こそ一番の贅沢だろうと。


ネット記事、それから普通の雑誌の記事に同様に大事なのは追体験。と思う。

自分と同じような境遇の人が何に悩み、そして何を感じてどう実践したのか。それにはもう解決なんていらない。最悪一歩も進めていなくてもいい。そういう人がいて、自分と同じような軌跡をたどっているというユニゾン感。

解決にたどり着くまでの泥水すすってる部分、それが本当に読みたい部分だと思う。結局成功した事より成功に至るための道筋に人は魅力を感じるのだろう。

織田信長が天下を統一、の教科書的一文に魅力なんてない。○○の戦いで織田信長がどう考えたか、どう動いたのか、そして何度挫折したのか。そこにこそ魅力があるのだから。


間違いなく誰もが成功に至るため動いているのだろう。でも、たとえ。その先に成功が待ってなくても。それでいいのだと思う。その先が、後進の道しるべになるのだろうから。


何がいいたいかっていうと問題解決型の記事ばっか書いてても検索上位には上がれないよってこと。そんなのゴマンと存在する。

そんなのより君がどう感じて、どう失敗して、けっきょく成し遂げられなかった、そのストーリーに人は魅了されるのだろうと思う。いい替えればファンがつくんだろう?

なんでも涼しい顔して杓子定規な解決型記事に収めていけるような人間に魅力なんて感じない。できないからこそ魅力だろう。そしてそんな人が精いっぱい頑張ってできるようになるから魅力だろう。

いいかげんグーグル型記事執筆から脱却してもいいと思う。


たぶん先駆者がいないと上記の言葉もなんとも心もとないと思うから、一例をあげておくと私が書いている、そしてどこにも公表していない完全な駄文ブログは失敗した事ばっかり、挑戦したけど出来なかったことばっかり書いてるけど一日1,000pvある。ちなみにbloggerだ。

結局グーグルがどう評価するかは後の話で、読む人が魅力に感じる記事を書ければいいんだと思う。bloggerもはてなブログも関係ない。自分の書きたいように書けばいい。グーグルの問題解決型記事優遇にノーを突き付けてみようではないか。

ああそうそう。Twitterも始めたんでよろしく。フォロワー(戦闘力)の少なさはピカイチだろうと思う。クリボーよりクリボーらしい、スライムよりスライム。逆に誇らしい…くねーか。

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