生きてるって言える生き方

2021年12月29日水曜日

寝れないときによむ小説

ああしていればよかった、あの時なんでこうしなかったんだろう、なんで俺はこの年までそれに気づかなかったんだろう。


どうしようもなく押し寄せる後悔の波。

誰にでも経験があると思う。一人一人にフォーカスすると僕を含め同じ過ちを繰り返していることになるけれど、大きな視点で見ると人間というのは後悔する生き物ということなんだろう。


その時最善策だと思った行動が実は悪手だった、そんなことばかり。

本当に自分の判断は正しいのか、間違っちゃいないのか。この選択で本当にオレは後悔しないでいられるのか。


……



でも蜘蛛がいつも同じ方法で得物を捕まえるように、アリが同じ方法で巣を大きくするように、たぶん人間が後悔するのは決められたことなんだろう。

なにせ先人に学ばないんだから。

書物から多くのことを学んでいたとしても、たぶんそれは学習不足。依然として後悔の楔からは逃れられていない。


それが人間なんだろう。

ああしていればよかった、なんで半年、一年、5年、早くそれに気づかなかったんだろう。その連続でこの世界に生きる人間は生きているのだろう。


でも僕は思う。

遅ればせながらも今それに気づけたのなら、まだ、遅くない。もしかするとこれから先さらに気づくべきことに気づくことがあるかもしれない。

でもあなたはまだ生きている。死んでいない。まだやり直せる。


そうやって有史以前、そして有史以来、江戸時代も戦争時も多くの人がその命題に立ち向かってきたんだろう。後悔しながらそれでもはいつくばって前に進んで。


現代は大儀なき時代と思う。

戦争のように国を背負って戦うことを義務付けられているわけでもなく、それなりの人権や生活保障を国から享受した状態で生きていける。

どう転んでも貧困で死ぬ事のない、言い換えればぬるま湯のような時代。


どうにも歯ごたえのない日常に嫌気がさしてくる。

でもそれを選んだのは自分。多くの人がそれを選んでるからといって、特に考えもせず同じレールを選んだ自分のせい。


まだやり直せる。

今それに気づいたなら。これから先、今この瞬間が一番若いのだから。

この先どう生きていくのか。迷いが生まれたことに感謝したい。ただ生きてただ仕事して、そして、病室でやせ細って迎える最期の時。オレは何を思うんだろう。

きっとあの時こうしておけばよかった、なんでもっと早く行動しなかったんだろう、と思うんだろう。そして最後の呼吸を終えて、息絶えるんだろう。


きっと。誰にでもそういうタイミングはある。そしてそのタイミングが訪れたなら、それは遅くも早くもない、そういったタイミングなんだろう。

だからもっと生きてるって言える生き方がしたい。と思う。

ああそうそう。Twitterも始めたんでよろしく。フォロワー(戦闘力)の少なさはピカイチだろうと思う。クリボーよりクリボーらしい、スライムよりスライム。逆に誇らしい…くねーか。

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